みなさんは「アート」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。絵画、彫刻、映像、いろいろなものがあると思います。
なんだか小難しいようなイメージがありませんか。それらを作っているアーティストの頭のなかはどんな思考なのでしょうか。
今回は日本、そして海外へ活躍を広げつつある現代アーティスト鮫島 弓起雄(さめしま ゆみきお)さんの個展「或る書道家の個展、2022年7月」に行き、少しだけ頭のなかを覗かせてもらいました。
アートは「つまらない」でもいいと語る鮫島さん。アートは難しいと思っていた筆者ですが、話を聞くうちに、アートに対する見方が変わってきました。
現代アーティスト:鮫島弓起雄 氏プロフィール
1985年東京生まれ。2010年東京造形大学美術学科彫刻領域専攻領域卒業。
彫刻作品とインスタレーション作品を中心に制作、発表を続けている。
「八百万(やおよろず)の神」という考え方を基にした作品や、空間の特性、現場の要素を利用して、物理的な面だけでなくコンセプトの面でもその場と深く関わり、切り離すことのできない空間演出も展開する現代アーティスト。
寸法立体で再現した「或る書道家の個展、2022年7月」
今回展示されているのは、別のアーティストの個展の寸法を立体化した作品。作品の数字は㎜単位で寸法数値を表しています。
2022年、書道家・市川雄大氏の個展「一雫」が、カフェを併設したアートスペースで行われました。1年経った2023年、「寸法立体」とAR技術を使い、同じ場所で市川氏の個展を再現しています。
幅308㎜、厚さ23㎜を表現している
━━ 実際に1年前に展示されていた作品を、立体化して大きさや幅を数値で表しているんですよね。これはどうやって作っているのでしょうか。
鮫島氏:ほとんどが木製ですね。レーザーカッターというレーザーでモノを切ったり彫刻したりできる機械で制作してます。
大きいものは手作業で作っていて、後から数字部分を接着する流れですね。
観る人に「気付き」を与える寸法立体
━━ 寸法立体シリーズの発想はどこから来たのでしょうか。
鮫島氏:展示で、会場の寸法を測ったり、㎜単位で設計図を作ったりしていくなかで、寸法自体が面白いと思ったのが始まりです。
元々立体のものを寸法で平面で表したのが寸法図面ですが、それを今度は立体に戻して作品にしています。
━━ 本来は寸法があって立体に起こす流れを逆にしてるってことですね。
鮫島氏:ベクトルを逆にした感じですね。
八百万シリーズも設計図をまず作っていて。僕にとって作品制作のうえで、寸法は必ず通る過程なんですよね。
鮫島氏の「八百万シリーズ」
━━ 以前に、機能しなくなった道具や機械を用いて新たな神様を創造する「八百万シリーズ」を拝見しました。自分の作品ではなく、他のアーティストの作品を寸法立体にするのは何か意図があるのでしょうか。
鮫島氏:八百万シリーズはあれで1個としての作品で形が見えないので、寸法にする意味はないんですよね。筆だったら共通認識として筆というモノがあるから「あ、筆だ」っていう気付きになりますよね。
八百万シリーズは固有の形なので、寸法を観たところで、じゃあこれが何かっていう認識ができないんです。みんなの共通認識がないものだと寸法にする意味はないです。
━━ 確かに。それだと観る人にとってそのモノに気付くことは難しいですよね。寸法と空間を活かす発想はどこから出てきたのでしょうか。
鮫島氏:きっかけは学生の頃に行った静岡のヴァンジ彫刻庭園美術館ですね。そこは、空間も全部含めてヴァンジの作品のために作られている美術館なんですよ。
その時に空間も含めて展示を考えないとって気付いて、必ず作品を見せる時には空間を意識するようになりましたね。
空間を重視するんだったら、もう最初から空間から発想したほうが手っ取り早く、より空間ベースに作品を見せられるんじゃないかと。
バリスタでもある市川さんのフィルターを通した空間
カウンターのなかからみた空間
━━ 作品ありきで空間に持ってくるのではなく、その空間で何ができるのかっていうところから作品を発想しているんですね。ちなみに今回の展示では空間をどう意識しましたか。
鮫島氏:書道家の市川さんが1年前に個展をした当時、彼はほぼ毎日このカウンターにバリスタとしても立ってたんです。
ここの空間をよく知っている市川さんのフィルターを通して、すでに最適な使われ方をしている状態でした。
なので、その状態をそのまま使い、当時の展示を寸法立体という目に観える形で再構築しました。
寸法立体ー書道用具・筆掛けー
━━ 筆や道具の寸法立体もあって驚きました。
鮫島氏:市川さんが、お客さんのリクエストで言葉を書いて渡すということをやっていたので書道用具も並んでたし、ここのギャラリーの使い方として、市川さんならではの使い方だなと。
QRコードを読み取ると市川さんの作品が観える仕掛けになっている
━━ 展示としてだけじゃなく、普段使いとしても置かれてたんですね。ARの発想はどこからきたのでしょうか?
鮫島氏:この展示にあたって、どうしても市川さんの作品が背景にあるので、市川さんの作品も観せたくて。
ただ、そのまま置くわけにはいかない。そこで使えるのは何だろうと考えた時にARを思いつきました。
現代アートの面白味とは?
寸法立体ー書道用具・硯ー
━━ 市川さんの硯(すずり)は元々古くから使われていたといった話もありましたが。ストーリー性があるという点では鮫島さんのほかの作品にも共通しますよね。発端はおばあちゃんのミシンからだったとか。
鮫島氏:結局モノのストーリーは体験に含まれるので、そのモノをモチーフにすることが好きなんです。今回は後から市川さんに話を聞いてるうちに出てきてたので、そこは出さずにいようかと。
鮫島氏の「八百万シリーズ」
━━ もともとモノのストーリーに興味があったと。
鮫島氏:そうですね。八百万シリーズは特に。何にでも神様が宿っている、モノに対して愛着があるのは、日本文化で育っている人であれば、ある程度誰もが持っている認識がありますね。
(左より)寸法立体ー書道用具・印泥の箱・印の箱・墨汁ー
後日、展示期間外に実物と比較させてもらった作品
━━ 寸法立体も八百万シリーズも一見、無機質にも見えますが、話を聞くとストーリーや背景があることを知って面白いなと感じました。
鮫島氏:無機質なものは好きかもしれないですね。工業製品なども無機質ですが、そこに宿る人間の背景があると思っています。
見た目だけじゃなく、その背景やコンセプトを聞いて改めて「あ、そうなんだ」という部分は、いわゆる現代アートの面白味かもしれないですね。
「アートだね」とは言われたくない
━━ 鮫島さんにとって作品作りは、自己表現なのでしょうか?客観的な視点を意識して作っているのでしょうか?
鮫島氏:僕の場合は自分の内面を表現することは基本的にはなくて。自分の感情を作品に昇華させようという欲求がないですね。
作品に共通してるのは普段接してるものや見ているものに対する、いつもは持たないちょっとした視点の違いがあることですね。
常に意識してるわけじゃないですが、結局作品には現れてきてるのかな、とは考えます。観てもらう人には必ず「そう観てください」ってことじゃないんですが。
━━ では観る人に対しては、どう観てほしいですか?
鮫島氏:観ることで「あ、こういう見方もあるのね」みたいな感覚があったら嬉しいですね。面白いとか楽しいとか。何だったら、ちょっと怖いねとか、そういった感情を表してもらった方がいいですね。
ただ「これはアートだね 」とは言われたくないです。
━━ カテゴライズされるよりも独自の感想をもらいたいと。
鮫島氏:そうですね。僕の感覚だと何とも言いようがない時に「アート」という言葉を使っておけばいいっていう印象なんです。
個々がアートに対して答えを持っていないまま、社会に「アート」という言葉だけが氾濫している気がします。
「あなたにとって映画って何ですか?」って聞かれた時には多分ある程度答えられるけど、それがアートだと答えられない人が多いと思います。
広義に捉えると映画や小説、漫画や音楽だって全部アートなはず。
映画や本と同じレベルで観てもらいたい
━━ 個々がどういう感想を抱くかだと。
鮫島氏:例えば、映画を観に行って「これが面白かったんだよね、あれはつまらなかったんだよね」だったらすごくいいと思うんです。
アートの場合、価値があまり語られない、どう感じたかを口にしちゃいけない風潮を感じます。
価値があるとされている作品は、認めざるを得ないとか。
━━ 確かに。有名な作品=素晴らしい作品で、絶対的な価値があると思っているかもしれません。
鮫島氏:そうなんです。「ゴッホ展を観に行ったけど教科書で観るのと、変わらなかった」みたいな感想はあまり出てきませんよね。
現代アートに対しては、そもそも壁ができていて。現代アート=「わからない」っていう図式が成り立っているんですよね。それがスタンダードになっていて、ある種1個の価値にもなっている。
「わからない」だったら「つまらない」の方がいいですね。個人の感想だから。「わからない」は考えていない、感じられてすらいない状態ですよね。
「つまらない」ならそれでいいんです。そこから「何でつまらなかったのか?」を掘り下げてほしいです。
本当に映画や本と一緒のレベルで観てもらえたら。映画だったら前評判がどんなに高くても面白くないって人はいるわけじゃないですか。
それと同じレベルで観てもらえた方が大衆にもアートが浸透していくと思います。
やってることは飲み会と同じ。たまたまアートだった
━━ それを大衆に訴えることに関しては興味はないのでしょうか。例えば、アートを通じて社会に一石を投じたいという人もいますよね。
鮫島氏:社会問題を作品に含める人たちは、本能的にも性格的にもなんとかしないといけないみたいな欲求があるんだと思います。
そういった作品は、観ててすごく面白いし、正直ちょっと憧れます。なんならやってみたいなとも。ですが、理性の面でも欲求としても、これをやらないとみたいなものが僕にはないですね。
━━ 表面的な面白さとしての興味はあるけど本能的な欲求が無いと。
鮫島氏:もし僕がやるとなったら、繕った(つくろった)形での表現になると思います。
欲求がないのは、僕が現状にある程度、満足してることに帰結しますね。僕は社会的に虐げられていたわけでもないし、何だかんだ満たされた生活をして生きているんですよ。
━━ 個人的なイメージですが、アーティストは自分の表現を通して何かを伝えたり、自己を表現したりする欲求があるのではないかと思っていました。
鮫島氏:僕のは遠回りなやり方ですね。作品を通して、ちょっと変わった見方を持ってもらいたいというのは、もっと年月がかかるような遠回りなアプローチなのかなと。
━━ 自分がこうと思ったことが、実はひょっとしたら違うかもしれない、善と思ってたことが実は悪だったという気付きを感じさせられたらということですか。
鮫島:そういう可能性もあり得るよね、ってことです。そもそも1個のことに絞る必要はないことをすごく遠回しに表現しています。そもそも固定する必要はないっていう話ですね。
僕自身はアートは、立場や考え方も含むあらゆるものから自由であるべきだと思います。僕の作品はそこに基づいています。自由でいいよねっていう。
だから表現をしてるのかもしれません。作品に直接的には含めてはいないけれど。
根底には視点の変化ー「こういう見方もあるよね」ということを提示することに繋がると思います。
━━ 多くの人にいろいろな視点を持ってもらうことがテーマなんでしょうか。
鮫島氏:本心はそうですが、手段は何でもいいんです。たまたま使ってる手段がアートっていうだけで。
海外旅行もしてきたから「海外行ってみたら?面白いよ」というのもそうだし、それはアートでなく話して伝えてもいいことですし。
飲み会でも当然、自分の話もするし人の話も聞く。そこには少なからず、そのメッセージが含まれてるんだと思います。
それをわかりやすく形にできるのが僕にとってはアート。
飲み会だったら取り上げられないですよね(笑)。この人こんな飲み会開いてます、みたいなことは。でも僕としては多分やってることは同じなんです。
やりたいことができれば有名にならなくてもいい
━━ 今後はどんな作品を作っていきたいですか?
鮫島氏:今後は、より大きなところでスケールや範囲を広げていけたらいいかなと。美術館まるごととか。
━━ それは大きい作品を作ってみたいということなのでしょうか、それとも自分のネームバリューを高めたいという意味でしょうか。
鮫島氏:より自由度が高い作品を作るのが理想です。ただ、信頼や実績がないままでは実現できません。
有名にならなくてもやりたいことができればいいんですが、現実問題、有名にならないと実現はできないですね。
━━ 具体的に目指したい場所はありますか。
鮫島氏:森美術館で個展とか。美術館全体でとなれば考えることも多くなるし、可能性も大きくなる。でもそれが、美術館ではなく大きな建物、例えば都庁全体を使ってでも面白いなと思います。
建物に限らず野外でも、どこかの駅をまるごと使うとか。そうやってできる範囲の可能性を広げていきたいですね。
━━ 今時点の制作活動や決まっている展示があれば、差し支えない範囲で教えてください。
鮫島氏:8月の半ばから始まる”六甲ミーツ・アート芸術散歩2023beyond”に向けて準備を進めてます。
今回の個展と共通してる部分もありますね。今回は寸法でしたが、六甲山でやるのは等高線、標高をモチーフにしたインスタレーションを展開する予定です。